ポスト「サッチー」で脚光を浴びるデヴィ夫人の知られざる“謎と過去”

この国のテレビに、「懲りる」という言葉は存在しないのだろうか。
ただのブロ野球監督夫人を、あわや国会議員寸前まで持ちあげたあげく、一転して集団 イジメのごとく袋叩きに走る。そして次なるお出ましはどうやら元大統領夫人らしいのである。

言うまでもない、デヴィ夫人のことだ。
さすが「世界のデヴィ・スカルノ」と本人自ら語るだけのことはある。木っ端タレント を罵倒させれば天下一品で、あの厚化粧のロを開けば、サッチーはもとより、桜庭あつ こ、マリアン、カイヤなど一撃でなぎ倒す。
そのため「芸能界のご意見番」という肩書でワイドショーでも常連化。この10月も日本テ レビとテレビ朝日のワイドショー特番に出演、桜庭に向かって「あんたは遊ぱれただけ よ」とテレビの前で泣かせてみせるわ、人気番組『愛する二人別れる二人』(フジテレビ) にレギュラー出演し、ヤラセ役者相手に説教を垂れ、本気か演技か物まで投げつけられる わと”罵倒タレント”として大活躍なのだ。
「とにかくデヴィ夫人が登場するかしないかで視聴率が変わる」と、あるワイドショー関 係者が、その人気ぶりを語る。

そもそもデヴィ夫人がワイドショーに出演するようになったのは、96年、あの松田聖子 のヌード写真集騒動のときからだ。
「コーディネーター役を引き受けたデヴィ夫人が、写真集を出版せずトンズラこいた聖子 に向かって、『あんな三流タレント』とか『愛人と遊んでいた』とか、ケチョンケチョ ンにこき下ろしたでしょ。それに目をつけた日テレのブロデューサーが、去年の末、芸能 ニュース特番に出演させたところ、これが喋る喋るで、予想以上の高視聴率になったんで す」(前出・ワイドショー関係者)
さらに今年に入ると、折よくサッチー騒動が勃発。こちらも「豚もおだてりや木にのぼ る」とばかりに「下品で非常識な人はキライです」などと、ガンガン喋りまくって、一気 にブレイクしていったのである。
最近では、デヴィ夫人を知らない世代が増えたこともあって、デヴィ特集ものも人気。 10月3日に日本テレビが90分特番で『デヴィ夫人素敵無敵貴婦人の素顔』を緊急特集。ワ イドショーでも「大人気、デヴィ夫人の秘密」的な特葉が組まれ始めた。10月10日には デヴィ節の集大成ともいうべき、エッセイ『愛をつなぐ』(冬青社)を出版。木っ端タレ ントいびりに飽き足らず、今度は日本の歴史や教育間題、呆ては政治、経済にまで言及 し、すっかり国際的著名人、文化人を気取っているのだ。

ところが、である。
「いやあ、笑いましたよ。この本やデヴィの特番を見て、なんだこりや、と。サッチーな みに面の皮が違う、とね」
そう語るのは、ある週刊誌の古参の芸能記者だ。デヴィ夫人がマスコミで脚光を浴びる たびに、実は、ある”疑惑”が常に噺かれているのだという。
その疑惑とは、ズバリ、経歴詐称である。
「あの人はウソだらけ」
そういってサッチーをバッシングした張本人が、嘘を並べ立てているというのだ。

▼華麗なる経歴をたどる

では、現在のデヴィ夫人の経歴は一体、どうなっているのだろうか。
出版されたばかりの自著と、自ら出演した特番『素敵無敵貴婦人の素顔』から、デヴィ 夫人の経歴をみてみよう。

1940年、東京都港区生まれ、日本名は根本七保子。大工の父親と病気がちな母との 間に長女として生まれる。兄弟は弟一人(八曾男)。父親が中学時代に亡くなり、家計を 助けるために、生命保険会社に勤務。三田高校の定時制に通いながら、「休日は喫茶店でアルバイト。弟を大学に行かせるために赤坂でホステスになる」(テレビ『素敵無敵〜』より)。当時から日舞、英語塾にも通い、∞年、訪日中のインドネシアのスカルノ大統領と、ティーバーティで運命の出会い。3回目のデートでブロポーズされ、インドネシアに波り、40歳年上の大統領との恋が話題になった。
そして「同年11月、ジャカルタで結婚」(「愛をつなぐ』より)。回教のインドネシア では、4人まで夫人を持てることから第3夫人としてデヴィ夫人と呼ばれる。
62年、母親と弟が相次いで亡くなり「天涯孤独の身になった」(デヴィ夫人)ことで、 インドネシアに国籍を移し、「宝石の妖精」どいう意味の『ラトナ・サリ・デヴィ・スカ ルノ』に改名する。だが、幸せの日々は長く統かず、舶年、共産党の暴動未遂に端を発し た事件でスカルノは失脚。大統領どの間に出来たカリナを懐妊したデヴィ夫人は、大統領 の勧めもあって、67年、日本で出産した。
その後の経歴は「67年、スカルノ大統領が終身大統領を解かれ、その3年後、ジャカル 夕で逝去。その後、幼いカリナを連れ、パリに亡命。社交界の華として賛美され、”東洋 の真珠”と称される」(『愛をつなぐ』より)。
80年代に入ると、実業家としても成功、インドネシア、パリ、NY、日本に豪邸を持ち、 現在は世界を飛ぴ回り、環境間題のボランティアや講演、テレビ出演など多岐にわたって 活躍中、ということらしい。

まさに華麗なる”デヴィストーリー”。
実際、50年代後半から60年代にかけで世間の関心の中心は、美智子妃とデヴィ夫人だっ たと言っても過言ではないほどだった。
が、前出の芸能記者は言うのである。
「何もデヴィ夫人が話題になったのは、貧乏娘が大続領夫人になるシンデレラストーリー だけではない。叩けばホコリの出るスキャンダルの女王としてだったのです」
ところが、このデヴィストーリー、美談こそあれ、一切、醜聞がない。
「だから人気をかさに都合の悪いことを全て隠し、全部、美談に仕立てているんだよ」 (前出・芸能記者)
デヴィ夫人の厚化粧のように、見享に”素顔”を隠しているというのだ。

確かにこうした経歴をチェックすると、おかしな事実に突き当たるのだ。
まず結婚年次、である。
著書では59年だったのに、特番では62年。本人が監修していろはずの経歴に、どうして こういう”ミス”が起きるのか?
前出の芸能記者がこう解説する。
「スカルノは大続領ですからね。結婚するということはファーストレディ(国母)を意味 するので、おいそれと外国人と結婚できるわけはない。デヴィがスカルノと結婚したの は、デヴィがインドネシア国籍になった62年というのが定説で、59年というのは、事実婚 を指すのでしょう。もっと言えば、インドネシア政府が正式に第3夫人と1して承認したのは、65年ですよ」
実際、本誌が調べたところ、64年にデヴィがスカルノとともに来日したときの肩書は 「大統領随員ミス・デヴィ」公の場では、あくまで”愛人”扱いだったのある。
サッチーの経歴詐称問題では、事実婚と入籍時期をどうのこうのと文句を言っていた が、そういうデヴィ自身、全く同じことをしていたわけだ。これだけでも首をひねりたく なるが、まだまだ経歴詐称疑惑が続くのである。
デヴィは、スカルノが亡くなった後、パリに亡命したことになっていろが、インドネシ ア事情に詳しい人間がこの経歴を見て、「嘘とは言わないが事実とは連う」と説明する。
「65年に共産党のクーデター未送で失脚したスカルノは、この時点でレームダックになっ たため、カリナを懐妊したデヴィ夫人は、身の危険を感じて67年日本で出産。しかも『日 本のマスコミには二度と出ない』と、逃げるようにそのままバリに行っているんですよ。 デヴィがインドネシアに戻ってきたのは、70年のスカルノが亡くなる直前、一度だけで す」
一説には「20億円相当」のスカルノの”隠し財産”があったといわれ、事実、カリナ嬢 の誕生バーティで三ツ星レストランのマキシムを借り切ったり、当時で200万円以上す るオートクチュールのドレスを買い漁るなど、「本来、国の税金で」(前出・インドネシア事情通)優雅な亡命生活をエンジョイしていたという。青年実業家が破産すると同時に離婚し、莫大な慰謝料をかすめ取ったマリアンと何が違うのか、と言いたくなろう。

さらに前出の芸能記者がつけ加える。
「それにデヴィ夫人は、63年に俳優の本郷功次郎、そして69年には津川雅彦と”不倫”を していたんですよ。しかも二人の関係を自著「デヴィ・スカルノ自伝』で赤裸々に告自し ているんですからね」
自分の行動を照らし合わせれば、桜庭に「羽賀との関係を喋るのは卑怯」と泣かせた り、「愛する二人別れる二人』で、「結婚がどうの、愛がどうの」と文句を言えた義理ではないのである。

▼閣に葬られた梶山季之の『生贄』

まあ、以上の疑惑は、都合の悪いことを”厚化粧”で隠したに過ぎない。
だが、デヴィ自身、言い逃れできない経歴詐称疑惑が存在するのである。
前述したように、デヴィ夫人の家族は、両親に弟一人。デヴィ(七保子)は長女という 家族構成であり、この三人が亡くなったことで「日本に身内はいない」と語っていた。
ところが、彼女の戸籍を調査すると、驚くべき事実が浮かんでくるのである。

彼女の戸籍には『父母との続柄変更につき、昭和33年2月14日、筆頭者及ぴ父母との 統柄長女と訂正』と記載されている。
一体、どういうことか。
「実は、義理の兄と姉の二人がいるからですよ。それを隠すために戸籍を変更したようで すね」(ある芸能評論家)
根本家の家系図を見ると、デヴィの母親は妻をなくした父に嫁いだ後妻で、異母兄姉が いるのだ。もちろん、テレビやインタビューの経歴で、この事実が載ることはない。ある 意味では経歴詐称と言っていいだろう。
だが、間題はそう単純ではなかった。
デヴィが戸籍を抜いた昭和33年(58年)は、スカルノと出会う1年も前だ。当時、デ ヴィは18歳。まるで、スカルノと結婚するために事前に「身辺整理」をしたとしか思えな いのだ。

本誌はその疑間に答えてくれる、ある一冊の本を入手した。タイトルは『生贄』。著者 は作家の故梶山季之。この著書もまた、デヴィ夫人によって消された”過去”であった。
「この『生贄』は、67年、徳間書店から出版された小説。『アサヒ芸能』に連載中から、 デヴィ夫人をモデルにしていると、話題になってました。実際、連載中から圧力がかか り、突然、終了したかと思えば、今度は単行本発売直後にデヴィが名誉毀損で訴え、絶版 になった”幻の本”です。作者の梶山は、週刊誌でデヴィ関連のスクープも飛ばすほど精 力的に取材をしていただけに、信憑性は高いと評判だった」(某出版社編集者)
そこまでデヴィ夫人が、この小説を世に出したくなかったのは、中身を見れば分かる。 主人公の名前は笹倉佐保子。金ど名誉に執着した女性が、自らの肉体を最大限に利用 し、アルネシア連邦の第3夫人、ビデ夫人(笑)に収まるまでの経緯を描いたものだ。

間題は、主人公と大統領の関係がアルネシアの賠償間題を有利に解決するため、政商や 総会屋、政治家たちが暗躍し、”生贄”として献上されたものだと暴露している点であろ う。しかも主人公の佐保子は、先行したライバル政商の”生贄”女性を出し抜くため、整 形手術を受けた人工の美女として、大統領を籠絡したというストーリーなのだ。
「小説のラストは佐保子に敗れた女性が自殺するシーンで終わっていますが、このモデル となった女性は金勢さき子という人で本当にジャカルタで自殺しています」(前出・芸能 評論家)
それだけでなく、この小説で登場する政商や総会屋を、デヴィ自身、『デヴィ・スカル ノ自伝』の中で認めているのだ。
「実際、単なるクラプホステスが、国賓のティーパーティに誘われ、しかも定時制高校を 中退した彼女が英会話が出来たという事自体、おかしい。小説にあるように元々、ス カルノのために抜擢されていたと考えるほうが自然でしょう」(前出・芸能評論家)
前出のインドネシアの事情通も言う。
「1500億円以上の戦後賠償金の窓口としてデヴィ夫人がおり、大統領の方も ジャバンマネーを引き入れるという意味でデヴィを夫人にするメリットがあった。 だからこそ当時のインドネシアの国民は、デヴィを『ゲイシャガール』と呼んで 正式夫人として認めることに反対したのです」

これが彼女のいう”愛”の実態であり、その厚化粧の下に隠された”素顔”は、何とも 生々しいものではないか。

▼スキャンダラスな半生

折角なので、デヴィ夫人の素顔にもう少し迫ってみよう。スカルノの死後、デヴィ夫人 は完全にバリ社交界のヒロインになったと自慢しているが、実際はどうだったのか。
「バリの社交界には二種類あって、彼女が入り浸っていたのはドミモンドという裏社交界 の方。本当の社交界には元大統領夫人でも貴族じやないと入れないんです。まあ、裏とい ってもお忍びで貴族も遊びにくる、いわば、貴族たちの遊び場みたいなパーティなんで す」(パリ事情に詳しいジャーナリスト)

71年、デヴィは、そこで知り合ったスペイン人官豪のバエサと婚約。盛大に婚約披露バ ーティを開催したという。
「このパエサは当時、有名な投資会社の経営者だったんですが、どうも大金持ちを捕まえ たというより、逆に当時、20億円相当といわれたデヴィ資産目当てに近づかれたようで す。実際、当時、デヴィ夫人はパエサの投資会社に金をつぎ込み、大損をしたといわれて いましたから」(前出・パリ通のジャーナリスト)

体よく騙されたデヴィ夫人は、金策がてら日本に戻ってくる。そして六本木にディスコ を開店。「東京にパリの社交場を作る」と大見得を切ったものの、たった2力月で閑古鳥 が鳴く有り様。その際、常泊していた帝国ホテルのホテル代100万円が払えなかったと 当時の週刊誌ネタになっている。
以後、金がなくなるとスポンサー探しに「来日」するのがパターン化していたともい われるが、さすが元売れっ子ホステス元大統領夫人。キャバレー王の小浪義明、丸源ビ ルの社長などに次々と気に入られ、援助を受け続けたようだ。
いわば天性の”ジジ転がし”こそが、デヴィ夫人のいう「一流の生き方」を支えてきた というわけか。

が、さすがのデヴィ夫人も寄る年波で資金集めが苦しくなったのか、90年代になると 「日本国籍に戻し、選挙に打って出る」と、事あるごとに語るようになった。自ら、政治 カを手にし駆便しようどしたのだろう。
ところが、この計画も御破算になる。
92年、ニューヨークの社交場バーティで口論相手の女性にシャンパングラスを投げつ け、ケガをさせたことで禁固60日(37日に短縮)。国籍取得が難しくなったというから笑 うに笑えない。

それだけではない。翌93年には、重大な詐欺騒動まで起こしているのだ。
これはホテルオークラで国連環境計画支援チャリティを開催。収益金の10万ドルを寄付 したと出席者に手紙を出しながら、出席者が国連に確認したところ、寄付していなかった ことが発覚、大騒動になった。
「大体、デヴィ夫人の動物保護の見識など、オスロットという豹の貴重種の毛皮を自慢そ うに着ていることで分かる。このチャリティも主賓に国運環境計画北米局長が来るという のがウリだったのに、実際は呼んでもいなかった。騒ぎにならなかったら着服する気だっ たと言われても仕方ない」(雑誌編集者)

確かにやることなすこと「世界」を股に掛けてスケールはデカい。デヴィ夫人からみれ ばマリアン、林葉直子、桜庭あつこ、サッチーなど、あまりにも子供だましで、ついつい イチャモンを付けたのだろう。
それにしても、である。ちょっと調べるだけでポロボロと出てくる醜聞にもかかわら ず、なぜ、デヴィ夫人の”素顔”は、触れられることがないのだろうか?
「都合の悪いことを載せると、デヴィはすぐに裁判に訴えますからね。この『生贄』のと きも、デヴィ夫人の記事を載せた『週刊サンケイ』『アサヒ芸能』『ヤングレディ』『女性自身』『週刊大衆」『週刊実話』と軒並み、訴えましたからね。記事を書いた小山いと子、藤原弘達らも訴えられ、それでビビッて、誰も書けなくなったんですし(前出・芸能記者)
過去、デヴィ夫人に告訴されたことがあるのは、『週刊新潮』、共同通信、朝日新聞など など。とにかく容赦なく裁判に訴え、都合の悪い情報を封じ込めてきたのだ。 泣く子とデヴィ夫人には誰も勝てない−−ということか
当然、昨今の時の人となったデヴィ夫人に逆らおうという気骨のあるマスコミは皆無。
「梨元勝、前田忠明なんか、若いころ散々、デヴィを取材して、全部、知っているはず。 でも視聴率欲しさと告訴怖さに黙っているから、デヴィ夫人は増長する一方です」(ワイ ドショー・スタッフ)

すでに局の送り迎えはリムジン、控室も一番広い部屋じゃないと出演を承諾しないとい い、雑誌のインタピューも「扱いが皇族なみ」というのが条件と噂されている。サッチ −なき現在、講演依頼も殺到。早連、事務所を設立し、金稼ぎに精を出しているという。
サッチーに勝るとも劣らない、プラウン管の”怪物”が誕生しつつあるのだ。
だが、デヴィ夫人を作ったのは、紛れもなく日本の政財界とマスコミである。 デヴィ夫人が通り過ぎると後に、しばらく伽羅の強烈な残り香がするという。 あたかも戦後ニッポンの裏面史を隠すように、である。〈敬称略〉